英語を話したいけど間違えるた恥ずかしいから、間違えなくなったら、完璧に文がつく得て発音もネイティブのようにできるようになったら話そう、なんて考えていたら
せっかくの出会いのチャンスを逃してしまいます。
そういう私も初めての海外旅行では、英語得意なはずなのに二言くらいしか話せなかったような記憶が。まごまごと考えてドルがお店で使えるのかどうか❓カードが使えるのかどうか迷っていると
一緒に行っていて姉が ドルOK? と聞きました。
あっという間に通じました。な、な、な、何これ? たった二語で通じる。
どうやらテストでいい点を取れるのと話せるのは違うんじゃないかと実感。19歳の時でした。
以来あらゆる学習方法もしプシーでやってきましたし、海外旅行が実践練習、
教師でしたので教授法法も勉強研究しました。わかったのは
知っている、わかると「話せる」は違うということです。
英会話の学習は主体的にしなければなりません。もちろん教えてもらう必要がありますが、
話すという行為はあなたが 体(口)を動かす必要があります。スポーツと同じです。
ルールを知っているからプレーできるのではありませんね?
完璧な文章が作れるまで、前置詞も語順も間違えず、ネイティブのような発音ができるまで話さない、話してはいけないと思っていらっしゃいませんか?
その必要があるでしょうか? 日本語の辞書の言葉を全部知っていますか? NOですね。
もし、英会話をして人と話したり、必要な情報をシェアしたり理解したりすることがゴールならば、完璧主義を捨てて、「間違いをしながら学ぼう!」というマインドに変えることが肝心です。
もう一つ、学生時代と同じように、座って授業や講義を受けていれば、問題集を解けば、テストでよい点を取ればできるようになるものではありません。
レッスンを受けて教えてもらうにプラスして、レッスンのない日にどう英語と付き合っていくか、自分から主体的に学ぼうという気持ちは、ゴールに向かうエンジンです。
学びに向かうゴール、マインド、そして習慣と時間が整えば どなたでも話せるようになります。
誰を基準に、どこを基準に 話せる と定義するのか?